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「オリーブ神奈川」の実態

先月投稿した記事は、主に「オリーブ神奈川」を批判した内容である。
オリーブ神奈川とは、私が2年前まで会員として関わった市民団体で、最後の2、3か月は役員でもあった。

「オリーブ神奈川には、大した人がいないね」
オリーブ神奈川の会員と話した人(非会員)が、こう言ったそうだ。

政治活動家として「しっかりしている」と私が思える人は、ほとんどいなかった。
大部分の人が、数回オリーブ神奈川の会合などに参加すれば、「ダメ団体」だと気付くだろう。

「お前に『代表になってほしい』と言った役員もいたのに、お前は引き受けなかった。お前が代表者として改革することもできたのにそうせず、当時の代表者を厳しく批判するのはおかしい」と主張する人もいるかもしれない。
私が代表にならなかった理由は、以下の通りである。
会員では最も若い部類に入る私が代表に就任しても、名ばかりの代表になってしまうこと。
また、もし代表に就任すれば、簡単には退会できなくなること。
代表者および他の役員たちの危なっかしい言動を見てきた私は、「自分が関与していないことでも、他の役員の失敗について、連帯責任を負わされるかもしれない」と心配していた。そのため、いつでも退会できる状況を維持しなければならないと考えていたのだ。

代表者も、もちろん手弁当で頑張っている。
人柄は、とても良い人物だ。
これでは、「辞めろ」とは言いにくいのが当然だ。
それでも、辞めてもらわなければ、その代表者と心中することになってしまう。

下からのアングルで、どアップで撮影した自分の顔写真を、フェイスブックで公開する。
違法ではない画像の公開は自由だが、みっともない。判断力の欠如を露呈している。
人柄が良くても、このような人物では、代表は務まらない。

結局、これ以上オリーブ神奈川に関わっても、大変な苦労をさせられるだけで、労力、時間およびカネの無駄遣いにしかならないと私は判断し、退会した。
ある人からは「あなたに期待していた」と慰留されたが、翻意などありえなかった。私は、オリーブ神奈川に対して何も期待できなくなったのだから。

集団または組織の問題

集団または組織の内部の人が、外部からの視線への想像力を失う現象は、しばしば見られる。
外部の人から自分たちの姿がどう見えるのか。どう思われるのか。
それらを想像しようともしなくなると、その集団または組織の先行きは明るいとは言えない。

これまでに、複数の市民団体に関わってきたが、その団体に問題が多く、改善の見込みがないと判断した場合、止むを得ず退会した。
そこが問題の多い団体だと気付いたときも、すぐには見限らず、批判または提案などを行なうのだが、それで解決しなければ、「多忙な私が、無理して関わるに値する活動ではない」と判断するのは、自然なことだと思う。

ボランティア団体のリーダーには、人柄の良さが必要だが、ある程度の見識および判断力も欠かせない。
ある団体の主要メンバーの大部分は、人柄の良い人たちだったが、見識および判断力には大きな疑問を感じさせた。

代表者は、限られた時間の総会の場で、話し合うべき課題がいくつもあるのに、誰にも相談せず、団体の活動とはほぼ無関係の話(講演?)を一人で数十分間も延々と続けた。そこに集まった人々の貴重な時間の使い方を代表者が勝手に決める行為は、独裁的である。しかも、団体の目的より自己満足を優先させたのだ。おまけに、後日、総会での言動を私に批判されても反発し、他のメンバーからも批判されて、ようやく謝罪する情けなさ。
総会では、団体が支持する小政党の候補者が、立候補を表明した直後に団体に支援を求めてきたことを、あたかも大きな成果であるかのように誇らしげに語っていたが、支援団体の少ない小政党の候補者だから、そうしただけのこと。それより、その小政党が選挙で惨敗を繰り返していることへの対策を話し合わなければならないはずなのに、全くそうしようとはしない。その小政党が存亡の危機にあるのに、危機感を全く欠いた代表の態度に、私はショックを受けた。
この代表は、ある著名人を招くイベントを私が提案したとき、無知および偏見に基づいて大暴走し、主要メンバーの大部分が賛成する計画を中止寸前にまで追い込んだ。イベントの場で、その著名人に「あなたは暴力を支持するのか、と質問したい」と言い出したのだ。暴力を支持する人だと思うのであれば、そもそも招くべきではないのだが、少額の謝礼しかもらえなくても来てくれる人に対して、大勢の人々の前で失礼な質問を浴びせようとする。これでは、非常識だと言われても仕方ない。

また、他の役員にも、ある事柄について議論しているとき、その定義すら調べずに議論に加わってきた人がいた。これでは子供の議論だが、その人は中年である。

更に、別の役員も、自分が支持する政治家を支援するため、仲間(団体の会員)たちを騙してカネを出させようとした。周囲から止められ、実行されなかったが。目的が正しくても、手段を選ばないことを正当化できないのは当然のこと。もし実行されていたら、その政治家にとって、むしろ致命的なダメージになりかねないことだ。まさに「贔屓の引き倒し」である。

呆れるような出来事が次々と起こっても、私は「良い人たちだから」と忍耐強く関わっていたが、「大きな問題があるだけでなく、人柄も良くない人物」が役員に加わったことなどによって、ついに見限った。

この団体のメンバーの過半数は高齢者だが、「政治関連の話し相手がいない高齢者」の一部にとっては魅力ある活動だろう。だから「高齢者の政治同好会」として、今後数年間は細々と存続できると思う。だが、手弁当で頑張っても社会貢献にならないのでは、会員数は減少の一途だろう。私が居たころも、実際に活動に加わるメンバーは20名程度にまで減っていたようだったので、今頃は10名程度になっているかもしれない。

別の団体では、代表者が精神障害になり、正常な判断力をかなり失ったことで、私は退会した。精神科の受診を勧めても、反発されるだけだった。

やはり、「代表者の任期を1、2年間に限定し、連続した2期の就任を認めない」としなければ、問題の多い人物でも、一度代表に就任してしまえば、辞めさせることが難しい。有能な人物なら、退任後も、別の代表者が1期を務めてから、再度代表に選べば良い。そのような、組織運営の知恵が必要だと学ばされた。
だが、集団または組織の構成員の質が、代表者の質に反映されている場合も多いだろう。その場合は、代表者が無能でも「誰に替えても、ほぼ同じ」となる。このような状況では、ほとんど手の施しようがない。

真実

某元議員は、支援者または支持者だった人を、次々と離反させてしまった。
本人にとっては自分を守るつもりで行なっていることが、自分を更に窮地に追い込んでしまった。

元議員は、インターネットを利用することによって、状況をコントロールするつもりだが、実際には、インターネットの利用を続けるほど、人が離れていく。
5万人を超えるフォロワーを持つツイッターは、適切に使えば、大変有用なツールになるが、正常な判断力を失ったままでは、逆に自分の立場を危うくしてしまう。

私は、このような事態にならないよう努力してきたが、大変困難な状況に陥ってしまった。
生きていくために最も重要な要素のひとつが、「自分で自分を守る能力」だ。
それを著しく欠いた人を必死で支えようとしても、多くの場合、徒労に終わるということだろう。

インターネットで発信する情報だけでなく、電話で話す内容からも、「パーソナリティーの半分が別人のようになってしまった」という印象だ。
壊れてしまった心を修復することは、容易なことではない。

私には、元議員を攻撃する意思がない。
私のような、心の問題に関わる専門職なら、元議員の抱えるトラブルの経緯を知れば、元議員を擁護する人が大多数だと思う。

だが、世間の大多数の「ど素人」には理解できない現象が、次々と発生している。
理解できないから、無知であるにもかかわらず、自分が納得できる理論を勝手に構築する。
そして、偏見に基づいて、心を病んだ人を、ただ非難し、排除しようとする。
これでは、中世ヨーロッパの魔女狩りのようなものだ。

元議員が健康だった頃の「人間関係の貯金」は、まだ残っているが、それが尽きた時、どうなるのか。
一部の専門家以外の人には擁護してもらえない状況が到来すれば、絶体絶命の危機だと言わざるを得ない。

元々は被害者であったとしても、今では「自分は100%被害者」と主張できる経緯ではないのに、元議員には被害者意識しかない。
自分がどれほど失敗を繰り返してきたか、全く認識できていない。
だから、ほとんどの批判を受け入れず、しばしば激しく反発する。
これでは、状況は悪化の一途だろう。

努力して築き上げてきたものを、このまま自ら台無しにしてはいけない。
全てを失う前に、気付いてもらいたい。
多くの人に信頼されていた自分を、取り戻してもらいたい。

祈り

ある高校の女子生徒「A」が、数カ月間に渡って交際していた同学年の男子生徒「B」から酷い心理的DVを受け、耐え続けていたが、振られてしまった。
更に、Bが別の女子生徒「C」と交際しようとしたことを知り、とうとう心が壊れてしまった。
その後、Aは、四半世紀もの間「元カレ」Bにストーキングを続けた。
これは、実際にあった事例である。

統合失調症の人の多くは、「発症以前とは、全くの別人になった」ように見えることがあるが、Aは、恐らく統合失調症ではない。
妄想を抱えているが、統合失調症の妄想とは質の異なるものであり、「全くの別人」と思えるほどの行動の変化は起きていないからだ。
本人に病識はないが、妄想に基づく言動から、Aが正常な判断能力を失ったことは、専門知識がない人にも容易に理解できる。

Aは、Bに出会うまでは、子供っぽいが、優しい人だったそうだ。
しかし、ストーカーに変わってからのAは、Bだけでなく、Bの親族も攻撃の対象にしたため、Bの親族たちから激しく憎まれた。

Bの親族たちにとって、Aは「頭のおかしいストーカー」であり「加害者」なのだが、Bと交際していた当時のAは、明らかに被害者だったのだ。
それでも、ストーカーになってしまえば、Aを擁護する人は、ほとんどいない。

 

このケースは、最近の「元国会議員と、その元支援者らの対立」の構図に、かなり似ていると思う。

国会議員の心が壊れていることを「証拠」と思い込んで、元支援者が「だから俺の言ってることが正しいんだ」と主張するのであれば、それはとても罪深いことだ。
心を壊したのは、その元支援者自身なのだから。

だが、元国会議員を擁護する人は減り続け、このままでは孤立無援になりかねない状況である。

私には、もはや打つ手がほとんどない。
無神論者の私だが、神に祈りたい気分になってしまう。「どうか、あの人を救ってください」と。

試練

最近、元衆議院議員三宅雪子さんは、以下の記事の「別人化」に近い心理状態にあると私は思う。

元自衛隊メンタル教官が教える 「折れてしまう」原因は、ストレスではなく◯◯だった 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 ストレスの程度にもよるが、例えば震災のような大きなショックや昼夜の逆転が続き、困難な決心を伴う作業の連続でも、2~3カ月までの間なら、本来の問題解決能力で、表面的な業務はうまくこなせるだろう。

 ところが、その間に「疲労」が蓄積していくのだ。そして疲労がある段階に達すると、体から脳に「これ以上動くな。弱っているからこれ以上の作業を命ずる人を警戒せよ」という指令が出るようになる。意思とは関係なく、気力と集中力が低下する。すると本来の問題解決力が発揮できなくなり、トラブルが増え、さらに疲労がたまるという悪循環に陥るのだ。

 本来のその人なら周囲に助けを求めることもできるが、この状態になるとイライラや猜疑心が非常に強くなり、簡単に援助も求められなくなる。いつもの彼とは違う状態になってしまうのだ。私はこれを「別人化」と呼んでいる。

 

正確に言えば、「別人化」より更に深刻な状態だろう。

それを本人が認識できないことを含めて、かなり深刻なのだ。

他者の意見に耳を傾けないままでは、自分で自分を追い詰めてしまう。

 

謙虚な姿勢で、他者と信頼しあえる関係を築いていたからこそ、多くの人が、三宅さんの周りに集まって、一緒に活動したのだろう。

三宅さんには、あの頃の自分自身を取り戻してもらいたい。

この厳しい試練を乗り越えてもらいたいと、心から願っている。

進路変更

衆議院議員三宅雪子さんに関しては、私が知っていても、BlogまたはTwitterでは公表できないことがいくつもある。
このBlogの過去の記事の補足として、この記事を投稿するが、どのような表現にするかについて、かなり悩んできた。
私は、三宅さんの政治活動を止めさせようとしている連中とは異なり、三宅さんの不幸を望まないからだ。

三宅さんは、数年前に重傷を負ったことで、その後ずっと激しい腰の痛みに苦しんでいるそうだ。
恐らく、あたかも毎日拷問を受けているような状態なのだろう。
更に、政治活動または選挙などによる多大な負担が加わっていた。

以前から、私は「それほど過酷な状況でも、正常な判断能力を維持することができるのだろうか」と心配していた。
最近の言動からは、私の恐れていたことが現実化してしまったと考えざるを得ない。

既に限界だったところに、元支援者らが集団で攻撃してきたので、もはや心が耐えられなくなったのだろう。
心が壊れた人が、自分の人間関係を自ら悪化させ、孤立していくのも、よくある現象だ。
だが、これでは、当初は被害者であったとしても、多くの人から加害者だと思われかねない。

三宅さんが初めて選挙に立候補してから、三宅さんのご夫婦は大変な苦労をしてきたはずだが、将来それを振り返って「大変だったけれど、挑戦して良かった」と思えるようになってほしいと願って、私は三宅さんに関わってきた。
だが、そのような私の願望は、もはや実現困難なのかもしれない。

最も自分を苦しめているのが自分自身であること。
最も自分の名誉を傷つけているのも自分自身であること。

そのことに早く気付き、自分の「物事の見方、考え方」を変えなければ、今後は一層厳しい道程になるだろう。
それは、裏を返せば、自分の「物事の見方、考え方」を変えるだけで、苦しみから逃れられるということでもある。

自滅への道を突っ走ることを止め、楽しく幸せに生きられる道を選んでもらいたい。
そのような進路変更は、不可能ではないはずだ。

「推定無罪」と人物評価

小沢一郎さんの支持者が、「小沢さんは無実だ」と主張するとき、しばしば「小沢さんを総理大臣に」などと小沢さんを評価する発言と混在させることに、違和感を覚えている。

「無罪推定の原則」は、「小沢になんか、何も期待しないよ」と言っている人物でも従わなければならないものだ。憲法にも、この原則に基づく条文が含まれている。人物評価とは切り離して考えるべきものだ。

推定無罪」と人物評価をごちゃ混ぜにすることで、小沢さんを支持しない人からは「小沢を支持するから、『無実だ』と言っているんでしょ」と思われかねない。これでは、「小沢さんは無実」の認識を共有する人を増やすことすら困難になるのではないか。

実際、小沢さんの支持者には、小沢さんに対して「無罪推定の原則」を適用しても、元衆議院議員三宅雪子さんに対して「三宅が加害者だ」などと証拠がなくても決め付ける者がいる。

小沢さんの思想を理解していれば、そのようなダブル・スタンダードを用いることにはならないはずなのだが。

トラブルの全体像(最近のTwitterより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元衆議院議員の三宅雪子さんを攻撃するカルト集団が拡大した理由

カルト集団のメンバー(三宅雪子さんの親族FMを除く)には、集団へ勧誘するときに、他者を騙した、または嘘をついたという認識はない。カルト集団が拡大したのは、三宅さんの言動への「強いバイアスに基づいた解釈」が、メンバー以外の者にも共有(納得)しやすいものだからだ。

 

彼らは、「三宅がおかしなことをたくさんやっている。だから、三宅を非難するFMの主張が正しい」と思い込んでいる。これは、論理的には正しくない考えだが、経験則から正しいと考えてしまう人は少なくないのだ。

 

最近の三宅さんには、感情的な言動が散見される。だが、それによって、FMによる三宅さんの悪口の内容が真実とは断定できないのだ。それはそれ、これはこれ。関連付けるのは推測でしかなく、証拠を見付けたことにはならないのだ。

 

関連付けるのは、マスコミによる小沢一郎さん報道で「小沢はクロ」と信じ込む心理に似ている。「検察が秘書を逮捕したのだから間違いない」「あれほどマスコミが小沢疑惑を報じるのだからクロに決まっている」などと、証拠ではないものを証拠と思い込む発想と、ほぼ同じだ。

 

三宅さんが感情的になるのは、これまでの三宅さんの主張が真実であれば、自然なことだと思える。酷い腰痛、FMの言動で苦労させられたことなど。更に、一緒に選挙活動をした支持者から裏切られては、どれほどの心痛だろうか。

 

私は、三宅さんの主張を鵜呑みにしていない。だが、FMによる三宅さんの悪口には証拠がないので、三宅さんとの関わり方を変える理由がない。FMは「三宅雪子が・・・をした」「三宅雪子から・・・と言われた」などと主張するが、その証拠を全く示していない。

 

小沢さんは、「無罪推定の原則」を無視するマスコミから激しい攻撃を受けた。そのことに憤っていたであろう者が、証拠もないのに三宅さんを「嘘つき」などと攻撃する。三宅さんには自分の無実を証明する義務がないことも、「無罪推定の原則」は示している。

裁判員制度 ┃裁判員になる方へ - 弁護士からのメッセージ 裁判員制度がスタートしました

心にとめておきたい4つのこと | 裁判員制度 | 日本弁護士連合会

疑わしきは罰せず(うたがわしきはばっせず)とは - コトバンク

 

殺人を犯したオウム真理教の信者は、教祖に操られていたのだが、無罪にはならなかった。三宅さんを誹謗中傷している連中も、おとがめなしになるとは限らない。証拠のない誹謗中傷情報を鵜呑みにして拡散することが、正当な批判であるものか。

 

カルト集団が、元衆議院議員の三宅雪子さんを攻撃する理由

前回の記事でも、カルト集団が三宅雪子さんを攻撃する理由について述べたが、やや分かりにくい表現になってしまったと感じている。

そのため、改めて、別の表現で私見をまとめることにした。

 

彼ら(三宅さんの親族FMを除く)は、「三宅がおかしなことをたくさんやっている」と決め付け、「だから、三宅を非難するFMの主張が正しい」と思い込んでいる。

これが、彼ら(FMを除く)の主張の根幹である。

 

仮に「三宅がおかしなことをたくさんやっている」としても、それは「三宅を非難するFMの主張が正しい」ことの証明にはならない。傍証にもならない。

三宅さんの行動とFMの主張の真偽を関連付けるのは、経験則に基づく判断であり、推測にすぎないのだ。

しかし、彼らは「三宅を非難するFMの主張が正しい」と固く信じ込み、FMの言うことを全て鵜呑みにする。

 

そもそも「三宅がおかしなことをたくさんやっている」とは、前述の通り、彼らの決め付けなのだ。

彼らの言う「おかしなこと」を、私は必ずしも「おかしい」とは思わない。

三宅さんも人間なので、欠点はある。失敗することもある。

Twitterの投稿内容には、不正確な部分もある。

それを、彼らは「嘘をついた」「悪意、故意によるものだ」などと決め付けるが、私は「単なる事実誤認(ミス、過失)かもしれない」と考える。

三宅さんがカルト集団のメンバーの一部の実名などを公表したことを、彼らは「被害」と主張し、三宅さんを激しく非難する根拠にしているが、私は「被害」とは思わない。その理由は、前回の記事で述べた。

最近の三宅さんの言動からは、一時的に不安定な心理状態に陥っているように思えることがあるが、こちらも前回の記事で述べた通り、過酷な状況下にあるにもかかわらず、かなり心の安定を保っていると言えるかもしれない。

そのような状況に鑑みれば、ミスが多くなるのも自然だ。むしろ、それを故意ととらえる方が不自然だと私は思う。

 

問題の核心は、「事実はひとつでも、様々に解釈することが可能なのに、彼らが強いバイアスに基づいた解釈しかしない」ことなのだ。

 

仮にFMの言うことが事実だったとしても(私は、恐らく事実ではないと判断しているが)、「偶然そうだっただけ」で、カルト集団の認知のプロセスに問題があることは間違いないのだ。

FMの主張の証拠がないのなら、私には三宅さんとの関わり方を変える理由がない。

 

小沢一郎さんは、「無罪の推定」の原則をほぼ完全に無視したマスコミから、長期間執拗に攻撃された。

その小沢さんの支持者が、「無罪の推定」の原則をほぼ完全に無視し、三宅さんを長期間執拗に攻撃している。

だが、彼らは、その矛盾に気付くこともできない。

 

カウンセリングなどの心理療法が有効だろうが、彼らは自分の問題に全く気付けないので、心理療法を受ける可能性はないだろう。

最早、三宅さんには法的措置しか手段が残っていないようにも思える。

先日、三宅さんは裁判に訴えることをツイキャスで発表されたが、その行方に注目したい。

 

(9月11日、加筆修正)