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集団または組織の問題

集団または組織の内部の人が、外部からの視線への想像力を失う現象は、しばしば見られる。
外部の人から自分たちの姿がどう見えるのか。どう思われるのか。
それらを想像しようともしなくなると、その集団または組織の先行きは明るいとは言えない。

これまでに、複数の市民団体に関わってきたが、その団体に問題が多く、改善の見込みがないと判断した場合、止むを得ず退会した。
そこが問題の多い団体だと気付いたときも、すぐには見限らず、批判または提案などを行なうのだが、それで解決しなければ、「多忙な私が、無理して関わるに値する活動ではない」と判断するのは、自然なことだと思う。

ボランティア団体のリーダーには、人柄の良さが必要だが、ある程度の見識および判断力も欠かせない。
ある団体の主要メンバーの大部分は、人柄の良い人たちだったが、見識および判断力には大きな疑問を感じさせた。

代表者は、限られた時間の総会の場で、話し合うべき課題がいくつもあるのに、誰にも相談せず、団体の活動とはほぼ無関係の話(講演?)を一人で数十分間も延々と続けた。そこに集まった人々の貴重な時間の使い方を代表者が勝手に決める行為は、独裁的である。しかも、団体の目的より自己満足を優先させたのだ。おまけに、後日、総会での言動を私に批判されても反発し、他のメンバーからも批判されて、ようやく謝罪する情けなさ。
総会では、団体が支持する小政党の候補者が、立候補を表明した直後に団体に支援を求めてきたことを、あたかも大きな成果であるかのように誇らしげに語っていたが、支援団体の少ない小政党の候補者だから、そうしただけのこと。それより、その小政党が選挙で惨敗を繰り返していることへの対策を話し合わなければならないはずなのに、全くそうしようとはしない。その小政党が存亡の危機にあるのに、危機感を全く欠いた代表の態度に、私はショックを受けた。
この代表は、ある著名人を招くイベントを私が提案したとき、無知および偏見に基づいて大暴走し、主要メンバーの大部分が賛成する計画を中止寸前にまで追い込んだ。イベントの場で、その著名人に「あなたは暴力を支持するのか、と質問したい」と言い出したのだ。暴力を支持する人だと思うのであれば、そもそも招くべきではないのだが、少額の謝礼しかもらえなくても来てくれる人に対して、大勢の人々の前で失礼な質問を浴びせようとする。これでは、非常識だと言われても仕方ない。

また、他の役員にも、ある事柄について議論しているとき、その定義すら調べずに議論に加わってきた人がいた。これでは子供の議論だが、その人は中年である。

更に、別の役員も、自分が支持する政治家を支援するため、仲間(団体の会員)たちを騙してカネを出させようとした。周囲から止められ、実行されなかったが。目的が正しくても、手段を選ばないことを正当化できないのは当然のこと。もし実行されていたら、その政治家にとって、むしろ致命的なダメージになりかねないことだ。まさに「贔屓の引き倒し」である。

呆れるような出来事が次々と起こっても、私は「良い人たちだから」と忍耐強く関わっていたが、「大きな問題があるだけでなく、人柄も良くない人物」が役員に加わったことなどによって、ついに見限った。

この団体のメンバーの過半数は高齢者だが、「政治関連の話し相手がいない高齢者」の一部にとっては魅力ある活動だろう。だから「高齢者の政治同好会」として、今後数年間は細々と存続できると思う。だが、手弁当で頑張っても社会貢献にならないのでは、会員数は減少の一途だろう。私が居たころも、実際に活動に加わるメンバーは20名程度にまで減っていたようだったので、今頃は10名程度になっているかもしれない。

別の団体では、代表者が精神障害になり、正常な判断力をかなり失ったことで、私は退会した。精神科の受診を勧めても、反発されるだけだった。

やはり、「代表者の任期を1、2年間に限定し、連続した2期の就任を認めない」としなければ、問題の多い人物でも、一度代表に就任してしまえば、辞めさせることが難しい。有能な人物なら、退任後も、別の代表者が1期を務めてから、再度代表に選べば良い。そのような、組織運営の知恵が必要だと学ばされた。
だが、集団または組織の構成員の質が、代表者の質に反映されている場合も多いだろう。その場合は、代表者が無能でも「誰に替えても、ほぼ同じ」となる。このような状況では、ほとんど手の施しようがない。